« 必要な議論 | トップページ | ひっそり更新 »

2009年3月12日 (木)

オレ様化しているのは誰か?

31503875  今はどうなっているのだろうか。店をやっている時に、クレープを食べながら本を弄っている子どもに注意した所、「食べてない」と頑として認めないことに遭遇して呆気に取られたこと。万引きしても、「万引きしてない」と厳と否定する態度に面食らったこと。「家の子を犯人扱いした」と怒鳴り込んで謝らせようと凄む母親にやむなく陳謝したことなど。一瞬、虚を衝かれて言葉を失ったものだ。時代が変わり、子供も大人も変わったのだな、という感慨と、余裕もなく、自己を維持することに汲々としているのだな、という感想を抱いたものだ。本屋というものは、ある意味では世相の最先端の情報を商売にしていることもあるが(業界自体は旧態依然)、客層が広いこともあって世相が反映する。青少年の多くを客としていることもあり、諸に彼(女)らの動向が測れる商売である。『オレ様化する子どもたち』は、ある識者と目される人が「先進過ぎた」と評した本である。要旨は、①80年代中葉以降、子どもたちがオレ様化してきた、②彼らの特徴は、「私そのもの」への執着と比較の拒否(自分の絶対的特別視・個人的価値観の創出)である、③原因は、消費社会の徹底化である、④だが、教育とは子どもたちを近代社会に馴致させるシステム的な営為であり(p172)、いい教育とはのびのびして厳しい教育である、⑤だから、贈与としての公教育は近代的な市民(国民)形成にかかわるものとして自己限定すべきである、である。オレ様化した子どもには事実確認すらできないし、徒労に終る。(私語など)注意をすれば、人格の全面否定と受け取られる。社会も、彼(女)らを消費主体としての「個」としてしか見ない。その後は、校内暴力・不登校・イジメ・援助交際・学級崩壊・学力低下・ひきこもりなどのオンパレードで、国家主義者どもの憤激の的になる(自分たちがそのお手本であり、原因となっていることにも気が付かないのであるが)。そこで国は、学校や教師批判を繰り出してイジメるという構図(教育基本法の改悪と教員免許更新制度の創設)である。教師批判や日教組批判をする者は信用できない。学校とは社会の縮図になって来ているのである(学校の社会化)。子供たちは商品経済と偏向した情報メディアとコマーシャリズムに晒されている。学校(school)とはもともと社会から隔絶されたもの(scola=暇)であった筈である。一体、誰がオレ様化しているのだろうか。子どもたちだけなのだろうか。

|

« 必要な議論 | トップページ | ひっそり更新 »

コメント

龍宮亭が扱いしたの?

投稿: BlogPetのちび | 2009年3月13日 (金) 15時24分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オレ様化しているのは誰か?:

« 必要な議論 | トップページ | ひっそり更新 »